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椋本の大ムク |
芸濃町 |
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芸濃町役場の南、約5分のところに立ってい
る。この椋は、征夷大将軍坂上田村麻呂の
家来、野添大膳がこの木の下に庵を作り住
んだことに由来する。南向きの斜面に、背伸
びをしているような椋であるが、国指定天然
記念物にしていされた、由緒正しい巨木で
ある。
(2005.9 訪問) |
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長徳寺の竜王桜 |
芸濃町 |
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県道42号線が平野から山間部に変わる辺りにある名刹「長徳寺」。この長徳寺を有名
にしているのが、竜王桜である。巨木というよりは異木、奇木というべき木である。フケ
ンザクラ、フゲンソウと呼ばれる桜の異種であるこの桜は、山桜、染井吉野よりも送れて
開花し、その美しさは仏画の普賢延命菩薩の高雅な粧にたとえられる、と立て看板には
書いてある。
(2005.9 訪問) |
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矢頭中宮公園の巨杉群 |
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一志町 |
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車一台がやっと通れるほどの幅しかない県道43号、一志美杉線。その矢頭山の峠付近にある、中宮
公園には、杉の大木が群れを成している。道路沿いに立つ矢頭の大杉をはじめ、目の届く範囲に何
本もの杉が立つ。しかしこの公園は、杉を見せるための所ではない。バンガローもあるキャンプ場、と
いうのがこの公園の姿である。しかしこんな巨杉群の中で一晩過ごしたら、あっちの世界に連れて行
かれそうな気がする。 (2005.9 訪問) |
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水屋神社の社叢 |
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松阪市 |
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道の駅飯高駅から西へ2kmほど行った
ところに水屋神社はある。パッと見は普
通の神社だが、境内に一歩入ると社殿
を取り巻くように立ち並ぶ、様々な種類
の巨木群に目を奪われる。中でも飛び
ぬけて大きいのは「水屋の大楠」である。
スカートのようにすそ広がりになった根元
、天を突くような立ち姿と、どれもが境内
の巨木達とは一線を引く大きさである。
三重県の神社には巨木が立ち並ぶ社叢
が多いが、その中で最も明るく雰囲気の
良い社叢である。
(2005.9 訪問) |
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〈近くのスポット〉
・竜神姫の水 |
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尾鷲神社の夫婦楠 |
尾鷲市 |
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尾鷲市民を古来より守ってきた尾鷲神社。その神社の御神木である夫婦楠であるが、神社の
歴史を見てみると、楠の方が神社よりも古いらしい。1636年の記述では当時でも周囲が6m
あったらしい。現在では10mと9mである。上左の写真で、楠の手前におばあちゃんが座って
いるがわかるだろうか。
(2005.9 訪問) |
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小坂の飛鳥神社社叢 |
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熊野市 |
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国道42号線と川を挟んだ形になる、小坂集落の飛鳥神社。まずは鳥居の横に立つ杉の大きさにビックリ。境内に
足を踏み入れると、巨木達が作る影の暗さに少し腰が引ける。社殿の周囲を周ると、そこここに杉の大木。ここの
杉は根元から何本かに分かれている物が多い。社殿の裏手には御神木「四本杉」。周囲8mの巨木である。
国道から見ると小山にみえるほど、密集した社叢である。 (2005.9 訪問) |
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大馬神社の社叢 |
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熊野市 |
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山間の大馬神社にたどり着いたのは、夕闇も迫る頃であった。人里離れた神社は人を寄せ付けない空気が漂い
本能的に足を踏み出せない怖さがあった。入り口の石碑の「神の森」のごとく、興味本位で訪れてはいけない場所
であると感じ、心の中で頭を下げながら足を踏み出した。しかしこの怖さはなんだろう。結局奥までは行くことがで
きず、途中で引き返すこととなった。現在でもこの時感じた恐怖が消えない。これらの写真も直視できない。暫くは
巨木めぐりを辞めようとさえ思った。 (2005.9 訪問) |
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〈近くのスポット〉
・水大師 ・獅子岩
・YH熊野市青年の家
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下市木のイブキ |
熊野市 |
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元々は庄屋の跡であったが、明治に小学校の寄付地として提供された際、3mほど根元を
埋められたため、実際は3mほど高い。現在後ろに見えるのは保育園。写真では大きさが
伝わりにくいが、周囲6.25mもある。遮蔽物の無い広々としたところに、思いっきり枝を伸ば
して、見ていて気持ちの良い木である。 (2005.9 訪問) |
近くのスポット |
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・獅子岩 |
・YH熊野市青年の家 |
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引作の大楠 |
熊野市 |
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県道141号、通称オレンジロードの引作集落を
見下ろす斜面に立っているこの楠を一言で言う
ならば、「でかい」に尽きる。そばに立つと幹の
大きさに視界が一杯になり、その規模がよくわ
からないほど。以前はこの付近には7本の杉の
巨木が立っていたが、明治末期に伐採されて
しまったとのこと。もちろんこの楠も伐採の対象
であったが、南方熊楠、柳田国男の尽力で免れ
た、という話が伝わる。
(2005.9 訪問) |
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〈近くのスポット〉
・引作の大楠の水 |
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